「食で地方創生」のコーナーでは、人口急減・超高齢化という課題に対し、政府や各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生することを目指す地方創生の取り組みを“食”の視点で紹介いたします。

日本全国各地で地方創生に向けて実際に動かれている方にスポットライトを当てて、“深く”“隈なく”の2つ方向で拡充していきます。“深く”では1つのエリアの取り組みに密着し継続的に報じることで蓄積化を図り振り返りを可能とし、“隈なく”では取材対象エリアを増やしていくことで先進事例を共有化できるようにします。随時、拡充・更新していく所存です。

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徳之島コーヒー生産者会の吉玉誠一代表(吉玉農園)と新植した苗木

鹿児島県・伊仙町篇⑦台風24号の爪痕 再起を図る吉玉農園 畑への直播きによる育苗も検討

9月末日、過去最大級の台風24号が徳之島を直撃。徳之島コーヒー生産者会の吉玉誠一代表は「これまでにない強さの台風で恐怖を感じ家の隅っこに集まりじっと我慢していた」とそのときの様子を振り返る。徳之島の南端にあるコーヒー主要産地の伊仙町では、同町にある試験場の測定で最大瞬間風速67mを観測。
①直木さんとコーヒーの幼木

鹿児島県・伊仙町篇⑥「夢が持てて楽しい」 生産者会一丸で収量アップ目指す

直木広人さん(48歳)は、福島県いわき市出身で東京の水処理プラント会社に就職し、28歳の時に夫人の出身地である徳之島に移住。現在は土木工事会社に勤める傍ら、早朝や週末を利用して夫人方の実家で畜産(繁殖牛)や農業(馬鈴薯)を手伝っている。
(左から)「珈琲葉茶」など返礼品をアピールする松岡由紀主査と移住・定住ガイドブックを持つ嘉納寿成主事(伊仙町)

鹿児島県・伊仙町篇⑤ コーヒーの花・果実・葉にも可能性 未来創生課が副産物支援

徳之島コーヒーには、コーヒー豆だけなくコーヒーの花、果実、葉を原料とする副産物でも脚光を浴びる可能性がある。伊仙町役場の未来創生課がコーヒー関連で支援するのは、徳之島島内宮出珈琲園でつくられるコーヒー副産物。6月から同園の「珈琲葉茶」「珈琲花茶」「珈琲果実茶」を伊仙町・ふるさと納税のお礼品として採用している。
満田文則さん(満田農園)

鹿児島県・伊仙町篇④徳之島コーヒー生産者会に新風 満田文則さん 基盤安定させコーヒーに挑む

徳之島コーヒー生産者会に異業種の経験を持つUターン者やIターン者が入会し新風が吹き込まれようとしている。3児の父の満田文則さん(40歳)は、少年期を徳之島で過ごし大阪で就職。パン職人として10年以上働き、次に介護の仕事を経て17年3月に移住した。
徳之島コーヒー③の1(吉玉代表の過去)

鹿児島県・伊仙町篇③徳之島コーヒー元年 夢は生豆の状態で10t出荷 吉玉誠一代表 移住からの過去語る

徳之島コーヒー生産者会の吉玉誠一代表(72歳)は、宮崎県出身で16歳のときに集団就職した大阪の精密機械の鉄工所で働きながら、ブラジルに移民し農業に従事することを夢みていた。 喫茶店を営んでいた知人の誘いを受けて徳之島に移住したのは36年前の36歳の時=写真1・栽培を始めた頃=。

参考記事

奄美糖業の歴史 薩摩藩による砂糖増産政策(写真地図google mapより)

奄美糖業の歴史 薩摩藩による砂糖増産政策

奄美糖業は慶長十五年(1610年)に始まったとされる。直川智(直河智)という人物が琉球に貢納品を納めに行こうとしたところ台風に遭遇して中国福建省に流れ着き、そこから持ち出したサトウキビの苗を郷里の大島・大和浜に植付けたのが始まりだと伝えられている。これに目をつけた薩藩は砂糖の生産を奨励。この時すでに奄美諸島は薩摩の統治下にあり、前年の1609年、薩藩は島津家久の琉球侵攻で奄美五島を琉球から分割し直轄地にした。