ホッピービバレッジ・石渡光一会長偲び「ありがとうの会」

ホッピービバレッジは8月18日に84歳で逝去した石渡光一会長の「ありがとうの会」を10月18日、帝国ホテル本館3階の富士の間で執り行った。

石渡会長は1936年、東京・赤坂生まれ。59年、慶應義塾大学法学部卒業後、コクカ(ホッピービバレッジの前身)に入社するつもりであったが、創業者で父親である石渡秀氏の「どっか行ってこい」の一言で証券会社に入社。そこで全国一の成績を上げるが、父親に呼び戻され67年にコクカに入社。

「相場という掴みどころのないものを扱うのにちょっとくたびれていた。実際に手で掴めるもので商いをしたくなってもいた」とその時の心境を語ったという。

70年、事業拡大のため調布市多摩川に製造工場を新設移転し製造設備装置の近代化を図る。これを皮切りに、リターナブルびんの導入、箱の一新、もつ焼き屋「三三九」の開店、発酵タンクの改善などに取り組み、70年代後半から80年代にかけてホッピーブームを開花させた。もつ焼き屋「三三九」は「ホッピー」のプロモーション拠点として自らも店先に立ったという。

79年、2代目社長に就任すると「ホッピー」は社員に任せ、ラムネやシャンメリーなど中小企業分野調整法で守られてきた飲料の発展に尽力。「コアップ・ガラナ」の普及にも貢献した。

81年には全国清涼飲料協同組合連合会理事長に就任。以降、全国清涼飲料連合会副会長などさまざまな役職を歴任した。業界会合の中締めには決まって指名がかかり、「皆さーん」のかけ声で始まり毎回違った中締めを披露して業界からも慕われた。

2011年には食料品加工業振興の功績により旭日小綬章を受章。

地元・赤坂にも貢献した。99年には赤坂氷川神社総代に就き、赤坂氷川山車保存会や勝海舟・坂本龍馬の師弟像を建てる会事務局を設立した。

16年には徳川吉宗公将軍就任300年に合わせ宮神輿と江戸型山車が連合巡行するという江戸の祭礼を正確に再現すべく、戦時中に消失した宮神輿を70年ぶりに新調した。また申年にあわせて氷川山車「猿」を修復し赤坂氷川祭もバックアップした。同年、勝海舟・坂本龍馬の師弟像も建立された。

「ありがとうの会」の会場には石渡会長が愛した山車人形を展示。石渡会長は「ありがとう、ありがとう、ありがとう」の言葉を残して逝去したという。