「カルピス」100周年 アサヒ飲料岸上社長に聞く① 入社2年目、取引先と大ゲンカ 夜討ち朝駆けの営業時代

ブランドを磨き、ブランドで挑む――。

これは、15年3月の現職就任以来、アサヒ飲料の岸上克彦社長が言い続けている指針だ。この指針の下、「三ツ矢」「カルピス」「ウィルキンソン」の100年ブランドをはじめとする重点6ブランドの本質価値を強化し、16年には過去最高の売上高と高水準の営業利益を記録。以降も販売数量と事業利益率を伸ばし続けている。

コーポレートブランドも意識し、事業活動がそのまま社会的価値向上につながる活動を加速させた結果、各種ブランド調査のランキングで急浮上した。

このような成果の土台である“ブランドを磨き、ブランドで挑む”の考え方の源流は、今年7月に発売100周年を迎える「カルピス」にある。岸上社長は、アサヒ飲料と統合する前の旧カルピス社出身。旧カルピス社で「カルピス」の営業とマーケティングを歴任してブランドの大切さが骨身に染みたのだという。

岸上社長が旧カルピス社(当時・カルピス食品工業)に入社したのが1976年。「『カルピス』は1919年に日本初の乳酸菌飲料として発売され成長していくのだが、1973年の第一次オイルショックの頃から売上げが鈍化してしまった。往時は需要に対し供給が追い付かず、“カルピス配給公社”と揶揄されたと聞くが、私が入社した頃は頭打ちになっていた頃で、お得意先さまからは『入社のタイミングが悪くてかわいそうだね』と冗談半分に言われたりした」と振り返る。

最初は東京支店の営業マンとして百貨店と酒販小売を担当。その翌年、新潟営業所に赴任。新潟営業所は少人数だったため一人でオールチャネルを担当した。このことが仇になり、後々失敗をやらかしてしまうこととなる。「電話口で大口顧客の支店長と大喧嘩してしまった。若気の至りで思い込みが強く『カルピス』の売り方について自分なりに正論を吐いたつもりだったが、収拾がつかなくなるくらいに怒られ、しばらく出入り禁止になってしまった」のだという。

「エリアの責任を持つようになり、営業としてはいろいろなことを一気に吸収できた半面、何でも仕切ろうとしたことが裏目に出てしまった。もしあのとき、段階を経て成長していれば、正論を吐くにしても相手の意見を聞き、もう少し幅を持った知識で対応できたのではないかと思っている」と自戒する。

新潟営業所に足かけ6年、次いで宇都宮営業所に5年勤務した後、東京支店に再び戻り、都合14年間、営業畑を歩んでいく。

その働きぶりについて「今の時代にはそぐわないが、夜討ち朝駆けの馬力型の営業マンで本当に朝から晩まで働いた。週末も自ら提案し、小売店さんの店頭応援に立つなどしていたので、家族と顔を合わせる時間がほとんどなかった」と述べる。1991年、岸上社長は旧カルピス社でマーケティング部門に異動となり、そこでブランドの持つ力をまざまざと見せつけられるのであった。(つづく)